明治37年7月5日、日露戦争において大連港外で触雷し爆沈した。戦死者5名を祀る。海門は佐鎮開設の明治22年以来佐世保を母港としていた。
なお海門の碑はもう一つ、佐世保市内元町の教法寺境内に建っている。これは海門が明治30年代台湾征討の役に従軍した際、遭難した陸戦隊員8名を祀るため明治31年2月建立され、終戦により撤去されたが昭和33年復旧されたものである。(軍艦海門端艇遭難者祀念碑)
なお海門の碑はもう一つ、佐世保市内元町の教法寺境内に建っている。これは海門が明治30年代台湾征討の役に従軍した際、遭難した陸戦隊員8名を祀るため明治31年2月建立され、終戦により撤去されたが昭和33年復旧されたものである。(軍艦海門端艇遭難者祀念碑)