松島は日清戦争時の連合艦隊戦艦であった。戦役後は橋立、巌島と三景艦揃って遠洋練習航海に参加していた。明治41年1月25日横須賀を出港し、東南アジア、インド洋方面を廻っての帰途、台湾馬公要港に寄港し停泊中の4月30日の午前4時8分頃火薬庫が爆発し、瞬時にして沈没した。殉難者は艦長・副長以下221名(乗員の約半数、士官で助かったのは砲術長1名のみ、少尉候補生は57名中33名が殉職)である。 慰霊碑リストへ戻る