この碑は東山海軍基地にはなく、市内鵜戸越の山頂にあるが、有名な碑であり特に記述する。
佐鎮の基本演習実施中の大正13年3月19日午前8時53分、海防艦見島に対し襲撃運動中の第四三潜水艦は巡洋艦龍田の船底に衝突して沈没した。佐世保港外伏瀬の南85度、3浬、深さ21尋の地点である。
艦長桑原少佐以下45名が殉職した。佐鎮の救難作業により潜水艦を浮揚し、遺体を収容したのは1ヶ月後の4月19日であった。
碑は大正14年建立された。
佐鎮の基本演習実施中の大正13年3月19日午前8時53分、海防艦見島に対し襲撃運動中の第四三潜水艦は巡洋艦龍田の船底に衝突して沈没した。佐世保港外伏瀬の南85度、3浬、深さ21尋の地点である。
艦長桑原少佐以下45名が殉職した。佐鎮の救難作業により潜水艦を浮揚し、遺体を収容したのは1ヶ月後の4月19日であった。
碑は大正14年建立された。