大東亜戦争ではスラバヤ、珊瑚、ミッドウェー、アリューシャン、ソロモン、サイパン、比島沖などの各海戦に参加して戦果を挙げた。19年10月24日のレイテ沖海戦では敵艦載機軍の猛攻を受けることとなった。妙高は右舷から雷撃を受け、後部に命中し、23名の戦死者を出した。
妙高はセレター軍港で修理復旧に従事した。
内地で本格的修理に従事することとなり駆逐艦潮の護衛のもと、佐世保に向い20年2月22日出港した。翌23日、マレー半島に沿って北上中の夕刻、敵潜の雷撃を受け、後部は切断されてしまった。
羽黒に曳かれて再びセレターに入港した。同艦の被害は余りにも大きく、また工作部の修理能力以上であったので、ついに本艦は海上戦闘に復帰することは断念された。やがて終戦となり、妙高は英海軍の指令により海没処分された。
碑は昭和48年9月15日建立された。戦没者90余名を祀る。
妙高はセレター軍港で修理復旧に従事した。
内地で本格的修理に従事することとなり駆逐艦潮の護衛のもと、佐世保に向い20年2月22日出港した。翌23日、マレー半島に沿って北上中の夕刻、敵潜の雷撃を受け、後部は切断されてしまった。
羽黒に曳かれて再びセレターに入港した。同艦の被害は余りにも大きく、また工作部の修理能力以上であったので、ついに本艦は海上戦闘に復帰することは断念された。やがて終戦となり、妙高は英海軍の指令により海没処分された。
碑は昭和48年9月15日建立された。戦没者90余名を祀る。