重巡洋艦鳥海・駆逐艦藤波は、レイテ沖海戦において共に第一遊撃部隊(栗田中将直卒)として参戦した。
鳥海は昭和19年10月25日敵艦隊と交戦中、敵艦の砲弾が命中し、航行不能となった。警戒に当たっていた藤波が鳥海の乗員を収容の後魚雷を発射し鳥海は沈没した。
藤波は鳥海乗員を収容し、主隊と分かれ別行動中10月27日敵航空機の大編隊と遭遇、善戦健闘したが、被弾により火災を誘発しついに戦没し、僚艦が捜索したが1名の乗員も発見されなかった。
戦役者 鳥海830名・藤波130名、碑は遺族により平成10年12月建立された。
以後、護衛艦「ちょうかい」が毎年慰霊祭を行っている。
鳥海は昭和19年10月25日敵艦隊と交戦中、敵艦の砲弾が命中し、航行不能となった。警戒に当たっていた藤波が鳥海の乗員を収容の後魚雷を発射し鳥海は沈没した。
藤波は鳥海乗員を収容し、主隊と分かれ別行動中10月27日敵航空機の大編隊と遭遇、善戦健闘したが、被弾により火災を誘発しついに戦没し、僚艦が捜索したが1名の乗員も発見されなかった。
戦役者 鳥海830名・藤波130名、碑は遺族により平成10年12月建立された。
以後、護衛艦「ちょうかい」が毎年慰霊祭を行っている。