比島沖海戦ののち昭和19年10月末から12月中旬にかけて実施されたレイテ増援輸送作戦(多号作戦)に参加し、つづいて19年12月24日実施された礼号作戦に第一艇身隊の一艦として参加した。
杉は護衛輸送作戦に従事し、終戦を内地内海西部において迎えた。戦後復員輸送に従事した後、昭和22年7月26日佐世保を出港し、8月1日上海で中華民国に賠償として引渡され、艦名を「恵陽」と変えられた。
碑は昭和54年3月10日建立された。大戦中の戦死者43名の霊を祀る。
杉は護衛輸送作戦に従事し、終戦を内地内海西部において迎えた。戦後復員輸送に従事した後、昭和22年7月26日佐世保を出港し、8月1日上海で中華民国に賠償として引渡され、艦名を「恵陽」と変えられた。
碑は昭和54年3月10日建立された。大戦中の戦死者43名の霊を祀る。