沖縄海上特攻作戦の昭和20年4月7日、爆弾の直撃を受け、大破孔を生じた。
涼月は前部大破のため前進航行が困難となった。命により北方に退避することとなり、後進で北上し、翌8日佐世保に帰投した。
涼月は修理完了後は、防空砲台として佐世保相浦湾に終戦まで係留されていた。戦後は姉妹艦冬月とともに、福岡県若松港の防波堤となった。歴戦の戦役者57名の慰霊塔は、北九州市若松区の高塔山中腹にある忠霊塔の東側に建てられてある。なお佐世保東山海軍基地にはその案内票が建っている。
涼月は前部大破のため前進航行が困難となった。命により北方に退避することとなり、後進で北上し、翌8日佐世保に帰投した。
涼月は修理完了後は、防空砲台として佐世保相浦湾に終戦まで係留されていた。戦後は姉妹艦冬月とともに、福岡県若松港の防波堤となった。歴戦の戦役者57名の慰霊塔は、北九州市若松区の高塔山中腹にある忠霊塔の東側に建てられてある。なお佐世保東山海軍基地にはその案内票が建っている。