佐世保鎮守府第八特別陸戦隊は、昭和14年1月20日佐世保海兵団において編成され、第四根拠地隊(後・海南警備府)に編入された。
昭和14年2月11日高松宮殿下御乗艦の軍艦妙高を旗艦とする第五艦隊は陸軍飯田支隊と協同作戦のもとに海南島海口に敵前上陸を敢行した。これに呼応して佐八特・横四特・呉六特及び艦船部隊連合の各陸戦隊の精鋭も同年2月14日午前5時00分同島三亜に敵前上陸を決行し、我が佐鎮八特は井上指令指揮のもとに島の東部を北方に向かって進撃した。
陸軍部隊が大陸に転戦後佐八特は上陸作戦を共にした各鎮の陸戦隊及び昭和16年6月に増援された舞鎮一特と共同作戦を行い敵主力を島の中央部五指山方面に制圧した。そのあと佐世保鎮守府第八特別陸戦隊本部を嘉積におき極めて治安の悪い地区の警備に当り終戦時まで約6年有余炎熱と戦いジャングルをものともせず勇戦奮斗した。この間幾多の討伐作戦等に多数の尊い戦没者を出すに至った。
碑は昭和48年9月5日海南島忠魂碑として建立、昭和58年9月23日佐世保鎮守府第八特別陸戦隊戦没者慰霊名碑を併設した。散華された軍人軍属286名の霊を祀る。
昭和14年2月11日高松宮殿下御乗艦の軍艦妙高を旗艦とする第五艦隊は陸軍飯田支隊と協同作戦のもとに海南島海口に敵前上陸を敢行した。これに呼応して佐八特・横四特・呉六特及び艦船部隊連合の各陸戦隊の精鋭も同年2月14日午前5時00分同島三亜に敵前上陸を決行し、我が佐鎮八特は井上指令指揮のもとに島の東部を北方に向かって進撃した。
陸軍部隊が大陸に転戦後佐八特は上陸作戦を共にした各鎮の陸戦隊及び昭和16年6月に増援された舞鎮一特と共同作戦を行い敵主力を島の中央部五指山方面に制圧した。そのあと佐世保鎮守府第八特別陸戦隊本部を嘉積におき極めて治安の悪い地区の警備に当り終戦時まで約6年有余炎熱と戦いジャングルをものともせず勇戦奮斗した。この間幾多の討伐作戦等に多数の尊い戦没者を出すに至った。
碑は昭和48年9月5日海南島忠魂碑として建立、昭和58年9月23日佐世保鎮守府第八特別陸戦隊戦没者慰霊名碑を併設した。散華された軍人軍属286名の霊を祀る。